三面記事の背後に息づくもの
2021-10-19


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首都圏の県警本部の機動捜査隊で初動捜査に当たっている知人は、「事件を捜査していると、小説になりそうなものだらけですよ。我々、警察官は口外できませんが」と言っていた。
 作家のなかには、そんな事件をヒントに作品を書く人もいる。人間のいろんな顔が現れてくるところに、創作意欲をそそられるのだろうか。
 駆け出しのころ、事件の新企画を担当したことがあった。追いかけたのは、主に新聞の三面記事の事件だった。小さな見出しに、わずか10行あまりの記事。取材源はほとんど警察発表だけで書かれている。
 カメラを肩にぶらさげて、関係先を取材していると、発表にはない事実が見えてくる。以下は、かつて取材した事件のあらましである。

 ある中年の主婦は昼ひなかに向かいの家に押し入って、若い主婦を包丁で刺殺した。
 所轄署で被害者の全裸の写真を見せてくれた。顔、胸、腹部、腕、背中まで、刺し傷と切り傷だらけだった。
 警察の調べによると、動機は新しいマイホームに引っ越してきたばかりの若い主婦への嫉妬だった。
 はじめのうちはいい関係だった。そのうち、明るい声で夫や子どもを送り出す「いってらっしゃい」という声を聞くのも堪えられなくなったという。
 おしゃれをして出かける様子も、夕食の料理の話も、「あてつけがましい女ね。ああやって、いつも幸せぶって、わたしをバカにしている」と一方的に思い込むようになった。そんなイライラした気持ちが自分の家庭に跳ね返って、夫婦仲までおかしくなっていた。
 殺された若い主婦は、なぜ、仲がいいとおもっていた隣の先輩主婦から自分がこんな目に遭うのか、わけがわからなかったのではあるまいか。

 ある30代の銀行マンは仕事を終えた帰り道、自宅まであと100メートルほどのところで、下校中の女子高生に襲いかかった。酒を飲んでいたわけではない。いつものように会社からまっすぐ帰る途中だった。
 自供によれば、女子高生は顔見知りではない、発作的にやったという。幸い、通行人が駆けつけて、女子高生は無事だった。
 中古の小さな貸家の自宅には、出身地が同じの年下のかわいい奥さんがひとりで待っていた。彼女は消え入りそうな声で、「なぜ、あんなことをしたのか、わかりません。すぐそこまで帰って来ていたのに」とつぶやいて、玄関先で顔を伏せた。
 夫の職場での評判は「おとなしくて、目立たない」人物だった。勤続10年あまり、役職なし。あんなことをやったら、どうなるかぐらいのことは、わかっていたはずだ。
 自宅までたったの1、2分。だが、取り戻しようもない「魔の1、2分」だった。

 ある若い男は会社帰りに同僚と楽しく飲んだ後、新橋駅から電車に乗った。つり革につかまっていたが、酔いがまわって、からだがふらふらしていた。と、突然、横から突き飛ばされて、雨でよごれた電車の床の上を転がった。
 次の駅で、隣にいた年配の男は電車を降りた。「待て」と追いかける若い男。「謝れ!」、「お前は、酔っているじゃないか!」。ホームで言い争いになった。
 激怒した若い男は、手に持っていた傘で力いっぱい、頭を殴りつけた。年配の男はその場にうずくまって、動かなくなった。死因はくも膜下出血だった。
 目撃者の話では、電車のなかで若い男はぐらり、ぐらりとからだを傾けて、すぐ横に立っていた年配の男に何度もぶつかっていた。そこで、ぶつけられた方が肩で押し返したら、ああなったということだった。
 被疑者には、古いアパートで同居している年老いた両親がいた。
「高校を出て、まじめに働いている、やさしい息子です。交通事故に遭ったようなものです。亡くなった方にはお詫びにうかがいます」。老婆はそうつぶやいてうなだれた。

 ある10代後半の女性は、母親の手ひとつで育てられたひとり娘だった。女優か、雑誌のモデルかと評判の美人だった。

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