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昨日もまた、この小さな猫がいた。地面の上に丸くなっている。そうして、このままじっとしている。声をかけて近づいても、逃げようとしない。まあるい恰好のまま、申しわけ程度に、ちょっとだけ目を開ける。
この猫はいつもこのあたりにいる。帰る家がない。親と一緒のところを見たこともない。すぐ横には桜の老木があって、その太い胴体には「ネコにエサをあげないで下さい」という張り紙が白いビニールのひもでくくりつけてあった。
きっと腹をすかしているだろうと哀れに感じても、その張り紙が気になるのだろうか、だれもエサをあげた形跡がない。この子猫も通りがかりに声をかける人間に、何も期待していないかのようである。
それでも猫好きの人は、ぽつんとひとりでいるのを見過ごすのが辛いらしく、ときどき中学生の女の子や暇そうなオジサンが膝の上にのせて、頭や背中を撫でている。そうして撫でられているときも、この猫はまあるいの形ままである。ゴロゴロと喉をならしている風でもない。
今日も同じ場所に、同じまあるい姿でいた。ところが、まわりでひとつの変化が起きていた。
「ネコにエサをあげないで下さい」という張り紙が取り外されていたのだ。桜の幹には白いビニールのひもが巻き付いたままである。おそらく、だれかが力任せに引きちぎって捨てたのであろう。ボロボロにちぎれたひもの跡から、張り紙を取り去った人の気持ちが伝わって来るようだった。
ノラ猫がそこらをうろついていることに我慢がならず、目を吊り上げて怒る人がいる。
エサをやる人間がいるから、こいつらがいるんだ、エサがなければどこかへ消えていなくなるだろう、ここから早くいなくなれ。あの張り紙の本音はそう言っているようだった。
それを見て、何もこんなことまでしなくてもと怒る人がいる。
この子はおなかを減らしているんだ、家も、親もいないんだ。こうなったのも、人間のせいじゃないか。せめて何か少しぐらい食べさせてやってもいいいじゃないか。たぶん、こんな気持ちになって、張り紙を引きちぎったのだろう。
そして、猫がいようがいまいが、そんなことどうだっていいという人もいる。
このおとなしい子猫をめぐって、猫好きと猫嫌いが見えない火花を散らしている。当の猫たちは、人間ってやつはいろいろな種類がいるよなぁ、気まぐれだし、自分勝手だし、わけがわからん動物だと思っているかもしれない。
ぼくはこのけなげな子猫が好きである。あたたかい部屋で、あたたかいこたつのなかに入れてあげたら、この小さなニャンコは寒さに凝り固まったまるいからだの形をくずして、手足をおもいきり伸ばして、長々と寝そべるだろうか。
そんなことをおもいながら、おい、寒くないか、腹は減ってないか、元気でな、と声をかけるだけで、何もしないその他大勢のぼくがいる。
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