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あー、おもいっきり酒を飲みたい。この歳になって、まさか飲酒の量を制限しなければいけない哀しい運命が待ち構えているとはおもわなかった。
管理栄養士の若い女性から渡された食生活の指導メモによれば、酒を飲むのは原則禁止。
でもね、あくまでも「原則」だからね。ここは無視します。
気になるのは、飲んでも1日のアルコールの摂取量は160kcalまで、というところ。この「飲んでも」とは、言うまでもなく「最大限飲んでも」という意味である。
はぁ、最大限って、最低でも1升瓶1本のことでしょ?
具体的には、日本酒なら140ml、焼酎100ml、ウィスキー60ml、ワイン200ml、ビール400ml(中瓶1本)と書いてある。
そいつはあんまりでしょ。今までは好きなだけ、気に入りのぐい呑みやグラスにゴボゴボ注いでいた。ビールも、日本酒も、焼酎も、ワインも、チビリチビリではなく、人並み以上のペースで飲んでいた。それも、一度にあれもこれも飲むのが好きなのだ。
生まれてこの方、こんなに細かい分量をいちいち測って飲んだことはない。日本酒なら大さじで、たったの4杯弱だよ。焼酎は同じく3杯ほどしかないんだよ。
徳利(とっくり)をみながら、こう考えた。智に働けば飲めなくなる。情に掉させばストレスがたまる。意地を通せば高血糖だ。とかく酒の加減はやりにくい。
思い出すのは、亡くなったカミさんの父親の飲みっぷり。
あれは真っ白な雪におおわれた新潟県六日町(現在の南魚沼市)の山里にあるカミさんの実家でのことだった。その日の朝方、九州・小倉の家を出たぼくは、新幹線で東京駅まで、上野駅から越後湯沢駅までは特急「とき」に乗り継ぎ、そこからローカル線に乗り換えて、夕方前には六日町駅に着いた。
小倉の両親に結婚の了解をもらい、その脚で雪の新潟までカミさんの両親に挨拶に行くためだった。あの国境のトンネルに差しかかったとき、関東側の水上あたりは山霧が渦を巻きながら舞い上がっていたが、暗くて長いトンネルを出たとたん、そこは真昼のようにまぶしい白色光に照らされた雪国だった。車内から「ワーッ」と歓声があがる。見渡す限りふかふかの白い静かな世界である。
六日町駅のホームに降りたとき、線路をはさんだ向こうの改札口に、赤い綿入れを羽織った小柄な娘が立っていた。まっしろな雪のなかで、にこにこ笑って手を振っている。迎えにきてくれたのだ。のろけるわけではないが、かわいいなぁ、とおもった。
四輪駆動のランドクルーザーで、カミさんを駅まで連れてきたのはいまの義兄。
「どんな男かみてやろうと付いて来た。気に入らなかったら、結婚に反対する気だったけど、いや、いい男じゃないか」
そう言ってくれたという。
義理の父の飲みっぷりを目撃したのは、茶の間のこたつに義母と3人で落ち着いたとき。挨拶もそこそこに、いきなり酒だった。銘柄は地酒の白瀧の2級酒。
そのころの地酒は庶民的な値段の2級酒と決まっていた。都会から遊びに来る人も、1級酒ではなく、わざわざ2級酒を買い求めていたものだ。それが「通」だった。そして、それらの地酒はやっぱり、その土地で飲むのがいちばん旨いのである。
先刻承知とばかりに、母がとりだしたのは背が高くて、胴まわりの大きなグラスふたつ。待ちかねたように父が膝に抱えた一升瓶の栓を抜いて、グラスのてっぺんまで酒を注がれた。真向いに座っている本人は手酌である。
酒は大好きだ。こいつはいいや、とおもった。
「俺はビールじゃなくて、いつもこれ(白瀧の冷や)だよ。戦争に行ってたとき、同じ隊にいた九州の男は酒が強かったなぁ。九州は強いもんなぁ」
「そうですか。いただきまーす」
ほんの少しだけ口にふくんだ。常温の酒がすうっと喉元をすべっていく。九州の酒のような重みがない。広島の酒とも、灘とも違う。まるでおいしい水のようだ。ふぁーん、と酒精の芳香が鼻からもれる。もうひと口、もうひと口、飲みたくなる酒である。
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