臥薪嘗胆だからなぁ
2023-08-29


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いま、ぼくたちは毎日のように中国がきらいになるようなシャワーを浴び続けている。中国の方でも日本をきらいになるシャワーが全開だ。どちらかと言えば、人口が約14億2,500万人もいる中国の方が勢いも激しいし、音も大きい。(よほどの頭の持ち主でもない限り、こんな相手と戦争をする国はないだろう)
 どちらのシャワーも最初の出どころをよく見ると、そこにいるのは為政者たちと、政府の発表をメインのニュースにしているテレビや新聞等のメディアである。
 ほんの少し前には、日本の為政者とその側近たちが自分たちに批判的な報道に腹を立てて、テレビ局や新聞社をコントロールしたくて脅しにかかったことがあった。学術会議の一件も、根もとにあるのはどうやら同じ理由らしい。だから納得のいく説明なんて、できるはずがないのだ。中国は報道の規制がもっとすごくて、やることも徹底している。
 感情をあおるような報道のシャワーは個人の判断力をマヒさせる。ほら、見たことかで、あれよあれよという間に、岸田政権はぼくたち国民を守るためという大義名分の下、自衛のためなら敵のミサイル基地を攻撃することも辞さないと踏み込んでしまった。
 その先には、ちゃんとぼくたちへの増税が待ち構えている。ぼくたちは新たな戦費の負担に協力するわけだ。そんなにも真剣にぼくたちのことを考えてくれているのだ。賛成だ、反対だと言っているのではない。理屈として、そうなっている。
「そこまでやるつもりはなかった」が、「引くに引けない泥沼に入り込んでしまった」というのが戦争の教訓である。戦争を体験した人たちから、「いつか来た道を思い出す」という不安の声があがっているのは、ずるずると戦争に巻き込まれて行った体験から得た、それこそ防衛本能のようなものだろう。
 さて、中国には復讐戦の歴史から生まれた言葉がある。おなじみの「臥薪嘗胆」。言葉の由来をざっとおさらいしておくと−、
 主役は、春秋時代の越王・勾践と呉王・夫差のふたり。はじめに勾践が夫差の父親を殺した。復讐を誓った夫差はいつも薪の中に伏して、自分のからだを痛めつけて、恨みを忘れずに、ついに父の仇の勾践を戦いで破った。これが「臥薪」。
 負けた勾践は夫差から殺される瀬戸際だったが、いろんな手を使って命乞いをして、憎い夫差の厩(うまや)番になった。それからはときどき苦い胆をなめて、こちらも恨みを忘れることなく、復讐の機会をずっとうかがっていた。こちらが「嘗胆」。
 勾践は、医学を学んだことがあるからと言って、腹痛で苦しむ夫差の下痢をなめたり、自分が愛する天下の美女まで差し出した。ただひたすら恭順の意を表して、夫差を絶頂期へと押し上げたが、それも計略のうちで、かたときも恨みを忘れていなかった。裏ではちゃんと手をまわしていて、最後は思惑どおりに滅亡させた。
 復讐までかかった歳月は、実に22年間である。22年間もバレないようにじわじわとやったのだ。(城野宏著・「戦略三国志(上)」にもっと丁寧に、おもしろく書いてある)
 さて、ここから何が読み取れるだろうか。自由に、乱暴に想像力を働かせてみたい。
 「臥薪嘗胆」という言葉を生んだ漢民族は、仕返しのためにはどんなに時間がかかっても構わないという気の長いことを平気でやる。そういうふうに受け取れる。
 そんな目で眺めると、尖閣諸島で中国が展開しているやり口も、霧が晴れるようにくっきりと見えはしないか。
 中国海警局の船が連日、尖閣諸島周辺の日本の領海に侵入して、どんなに警告しても、声高に主権を主張して、いっこうに止める気配がない。漢民族伝統の長期戦に引っ張り込んでいるのだ。実際に状況はその通りになっている。
 人のうわさも75日で、過去のことはあっさり忘れてしまう日本人と漢民族とでは、同じアジア人でもこうも違う(違うところはほかにもたくさんある)。
 「臥薪嘗胆」の言葉を生んだ民族だからなぁ、と考えてしまう。

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