政治パーティーのこぼれ話
2024-03-02


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自民党の政治資金パーティーの裏金事件には本当に腹が立つ。それでも手を染めた議員たちは堂々と公認候補になって、また当選するのだろう。
 つくづく嫌になる。どうしていつもこうなんだと情けなくなる。
 弾劾すべきは彼ら本人なのだ。どんなに再発防止をめざす法律をつくっても抜け穴はあるとおもった方がいい。性悪説に軸足を置いて、法の力を頼るとあれもダメ、これもダメになって、世の中は窮屈で味気なくなるばかりだ。
 いいことと悪いことの区別がつく人間になるんだよ。悪いことをやっちゃいけないよ。子どもに教えることを、あの人たちにもう一度きちんと教え直すしかない。
 ところで、ぼくの記憶では、ひと昔前は「政治資金パーティー」ではなく、「政治パーティー」だった。パーティー券を売って、カネを集める目的はいまと変わらないけれど、できるだけ人を集める、ちゃんともてなす、みんなで気勢をあげる、そんな狙いもあったとおもう。
 思い出しながら、そのころのこぼれ話を書いておく。
 70年代半ばに週刊誌の記者になった当時、「△△君を励ます会」と銘打った政治パーティーは毎週のようにあった。
 初当選から政務次官、部会長、各委員会の委員長というふうに、国会と党のポストの階段を一歩ずつ登って、主要閣僚へのトップ争いをしている議員たちは、政治パーティーでも会場のホテルの格や宴会場の広さ、動員数の多寡を競い合っていた。
 人が集まるほど政治家としての評価も上がるという図式である。早くから頭角をあらわす政治家は派閥の親分も目をかけていて、××派のホープとか、プリンスと呼ばれる議員が何人もいた。いまとは大違いで、10年先、20年先の総理総裁候補の名前が挙がっていたのだ。彼らの政治パーティーに人が押しかけたことは言うまでもない。
 派閥の領袖やニューリーダーと言われた議員のパーティーには、財界の大物や大企業の人たち、人気の女優からスポーツ選手、銀座の高級クラブや赤坂の料亭のきれいどころまでやってきて、会場の外まで来場者があふれる熱気だった。
 白いテーブルクロスをかけた何十畳分もあるテーブルには和洋中の料理の大皿がずらりと並べられ、有名店の寿司や蕎麦などの出店もあって、もちろん食べ放題、飲み放題である。とくに田中派のそれは豪華さが評判だった。経団連からの巨額の企業献金が当たり前だったころである。
 ここからは、そんな現場にいたぼく個人の感想を交えて書く。
 九州から出て来たぼくにとって、東京の一流ホテルで開かれる政治パーティーは、日本を動かしているリーダーたちをこの目で確認する格好の勉強の場でもあった。名詞一枚でどこにも入れる記者の特権をフルに活用して、よく出かけて行ったものだ。
 次の総理総裁の候補者、その次、その次、さらにその次と目されている政治家たちの顔と名前、選挙区、プロフィールぐらいは頭に入れておかないと取材先で話にならない。
 どんなスピーチをするか、だれと仲がよいのかを、この耳と眼で取材した。ときには彼らが得意な持ち歌を披露することもあった。大物議員とグラスを片手に談笑している著名な財界人の顔ぶれなど、その場にいれば一度に相当な情報をキャッチできた。
 ドスの効いたダミ声でぶち上げたあと、人が変わったようにやさしく話しかける田中角栄。人を引き込む話術にたけた中曽根康弘。得意の経済政策を披露する福田赳夫。余裕の笑みを絶やさない非主流派の三木武夫。存在感の割には話の印象が薄かった大平正芳。その他の有力な政治家たちを間近で見て、会場を沸かせる彼らのスピーチを直接聞いたことも、みんなぼくの財産になっている。(東京にいた記者なら、ごくふつうのことです。)
 ひと言でまとめると、あのころの盛大な政治パーティーには千両役者がそろっていて、顔見世興行としても充分におもしろかったのである。
 だが、いいことばかりではなく、そこにはひとつの「落とし穴」がちゃんと口を開けていた。

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