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朝の5時45分。小雨が降っている。傘をさして、仕事に出て行くカミさんをベランダから見送っていたら、小さな煤(すす)色の点が物干し竿の下に浮いている。クモが巣を作っていた。昨日の夜はなかった。
ぼくの住まいは3階だから、地上からここまで10メートル以上もある。地べたからよじ登って来たのか。それとも風に乗って、ここまで飛んで来たのか。空を飛ぶなんて、そんな芸当ができるのだろうか。考えてみれば、知らないことだらけである。
朝からとんでもない冒険小僧に出会った。でも、このまま放っておくわけにはいかない。クモががんばって作り上げた、きれいな六角形の巣を取り払って、見えない糸でぶらさがっているクモを空中に投げた。落ちても死ぬことはあるまい。
ちょっと目をはなしていたら、ちいさな点が自分の尻から出した糸を伝って、スルスルと登って来た。しつこいやつである。
そのとき、ふとカミさんが母親から聞いたという言葉を思い出した。
「朝のクモは縁起がいいから、殺したらいけないよ」
少しこまごまと書いたが、こどもころはこんなふうにクモや蟻、川にいるカニやアユの子、空を流れる雲などを飽きずにじっと観察したものだ。そのころの自分の姿もこころの中の景色として残っている。
ところで、景観にはふたつの種類があるという。
ひとつは、こころの中の風景で、だれもが自分の故郷や子どものころを持っているように、いくつかの風景をこころに懐かしく抱いている。
もうひとつは、目の前にある現実の風景。そして、人は現実の風景よりもこころの中の風景の方に高い価値を置き、そうはっきりとは意識しないまでも、こころの中の風景を美化して、あれが本当の風景だとおもっているという。(参照 : 『日本の景観』 樋口忠彦)
ぼくはこの指摘を素直に受け入れる。実際にそうして生きてきた。
父が亡くなった後、もうひとつ発見したこころの中の風景がある。
そのことに気がついたのは、博多駅から小倉駅のあいだにある新幹線のいちばん長いトンネル(11,747メートル)で、この登り、下りの2本の隧道は旧国鉄職員だった父が小倉の工事区長をしていたときに完成した。大規模な出水があって、地上で暮らしている人たちの井戸が枯れてしまい、地元の人たちとの交渉で、父が珍しく苦労話をもらしていたことがあった。
新幹線に乗って、このトンネルを通るたび、ぼくは父がヘルメットをかぶっている元気な姿をおもいだす。
さて、6時47分になった。
早起きして、冒険小僧のクモに出会って、そのことを書きはじめたら、こんな結末になった。
■写真の分厚い本『山陽新幹線工事誌 小瀬川 ・博多間』(発刊 : 昭和51年3月31日)は、父が手元に残していた工事の詳細な記録。
隣の文庫本は、30余年ぶりに取り出した『日本の景観』(ちくま学芸文庫)。
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