トンビのタローと一緒に
2021-01-28


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冬晴れの空を一羽のトンビが飛んでいた。両翼を広げたまま、ゆっくり大きな円を描いている。あの高いところから、どんな景色が見えるのだろうか。
 鹿児島の桜島から南に下った小さな港町で暮らしていた小学三、四年生のとき、ぼくの家ではトンビを飼っていた。
 ある寒い日、父が雨に打たれて、道端でふるえていたというトンビの子どもを連れて帰った。ぼくたちを怖がらなかったので、もしかしたら誰かに飼われていたのだろうか。
 父は空いていたニワトリ小屋に入れて、わが家で育てることになった。
 黒豚、馬、牛、変わったところではウサギやカラスを飼っている友だちはいたが、トンビがいる家は町中でぼくのうちだけだった。昭和34、5年のころである。
 名前はぼくがつけた。タロー、という。
 オスかメスか、そんなことは考えもしなかった。なんの根拠もなかったが、絶対にオトコの子だと決めていた。
 ぼくの家は高台にある鉄道官舎の小さな戸建てで、玄関を出ると正面には錦江湾、背後の低い山並みには白い滝、そして家の下には幅四、五メートルほどのきれいな川が流れていた。
 その川の少し上流に一本の大きなクスノキがあって、流れに影を落としている太い幹はタローのお気に入りの場所だった。タローはわが家に来た数日後には、放し飼いで育てていたのである。
 クスノキにとまっていても、家の外から大きな声で「タロー」と呼ぶと、バサッと飛び立って、ぼくをめがけてまっすぐに飛んでくる。風を切って滑空してくる勇姿は、まるでグライダーのようだった。
 顔つきは、鷹や鷲と同じようにかっこいい。ランランと光る両目、先端が内側に曲がった鋭いくちばし、ガッチリと食い込む力強い爪、茶色に白の筋がはいった羽、翼を広げるときには風が巻き起こった。
 父はタローの頭を撫ぜていたが、ぼくは怖くて、触りたくても手を出せなかった。やっぱり野生の本能を持った猛鳥に違いなく、全身からほとばしるオーラがハトやスズメ、犬や猫とは格段に違うのである。
 ナマのアジをやると、片手の爪を立ててガッチリつかみ、尖ったくちばしで、肉を小さく切り裂いて食べた。狩りも得意で、川ガニやヘビを捕まえてきて、母が絶叫したこともある。
 タローとの思い出はつきない。
 毎週月曜日の朝、小学校の校庭で開かれていた全校生徒が参加する朝礼での出来事もそうだった。
 みんなが整列している上空に、タローがあらわれて、「ピィー、ヒョロロー」と鳴きながら、ゆっくりと円を描く。校長先生が話を止めて、空を見上げる。クラスの友だちもいっせいに仰ぎ見る。そして校長先生が「あぁ、タローが来ていますね」と言うのだ。
 そんなタローが誇らしくて、ぼくまでタローと一緒に空を飛んでいるような気持ちになったものだ。
 国鉄職員の父は鉄道の新設工事(古江線。廃止になりました)をやっていて、工事現場に行く蒸気機関車にも、それに引っ張られているバラスを積んだ無蓋貨車にもよく乗せてもらった。
 真っ黒な蒸気機関車がもうもうと煙を吐きながら、桜島へ向かって錦江湾の浜辺を走る。そこにもタローは飛んで来た。ぼくは地上を走る貨車の上、タローはその上の空をついて来る。まるで昔の映画のワンシーンのようだが、本当のことである。
 どなたもそうだろうが、子どもころから今日まで、そのときどきの思い出はいいことも、そうでないことも、いつも背中に張りついている。

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