もうひとつのドラマがあった
2023-07-27


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気がつかないところで、どんなドラマが進行しているのかわからない。つくづくそうおもうことがあった。
 意を決して初めて受診する歯科医院に行った。4、5日前から右の奥歯の上と下とが痛みはじめ、すぐ治療に行けばいいのに、少なからずブレーキになったのは馴染みの医者を替えることだった。どこの歯科医がいいのか迷って、延ばし延ばしになっていた。
 主治医を替えたのはそれなりの理由があってのこと。今年の1月に半ばに歯周病の定期健診に行ったときが事の発端だった。
 あの日のことはよく覚えている。治療用の椅子で仰向けになっていると珍しく医院長が最初からやって来て、「このオヤシラズはもう駄目ですね。こりゃ、抜いた方がいいですね。抜歯しましょう」と言い出したのだ。
 医者は後ろに立っている。こちらは仰向けのままだから、まるで頭上から降って来る天の声を聞かされるようなものだ。ふいにとんでもない爆弾を落とされて、「ええっ、そんなぁ」である。
 反論したくとも動きがとれないので、白い天井に向かって言うしかないが、面と向かって言いたいことがあった。何しろ、これまで聞いていた話と180度違うのだ。
「もう抜いた方がいいんですけどね。でも、××さんは抜きたくないようだから、努力して大事にしましょう。ただ、いずれは抜くことになりますよ」
 これまでは、そういう物わかりのいい話だったのだ。
「止めてください。痛くも何ともないんだから。このオヤシラズが右の奥歯のブリッジを支えてくれている(ブリッジがなくなると歯が2本消失する)から、ふつうに食べられるんですから。抜くのはお断りします」
「抜いた方がいいんだけどなぁ。これを抜いても噛むのはそう困らないし、抜いたら悪いところはみんな無くなるのだから、もう何も心配しないでいいんですよ。そっちの方がいいいでしょう」
「いや、すごく不便です、困ります」
「ふぅ。わかりました。じゃあ、今日は止めておきます。でも、次回は抜歯しますからね」
 ざっと、こんなやりとりがあったのである。さらに支払いの窓口でまた延長戦があった。副医院長(医院長の奥さん)が「次回は抜歯しますから」と念を押して来たのである。さすがに、ムカッときた。
「本人が了承していないのに、抜歯するんですか」
「ええ、治療ですから」
「では、また次回にぼくの方から先生に希望を伝えます」
 そう言って、ムシャクシャした気分のまま、通い慣れた歯科医院を後にしたのである。
 そのときは翌月に迫っていたすい臓癌の手術のことで頭がいっぱいだった。医者には、癌のことも、抗がん剤治療を受けていることも言わなかった。言う必要もないし、言いたくもなかった。家に帰ってからもしばらく不愉快だった。歯医者を替えようかな、初めてそうおもった。
 だが、このときすでに、もうひとつのドラマが進んでいたのである。
 退院してから2か月後、カミさんがその歯科医院に行った。腕前がいいと評判の医者で、彼女の方がこことの付き合いは長い。その日、医院長は不在だったという。
 それからひと月後の5月のある日、同じ歯科から帰宅したカミさんが急ぎ足で近づいて来た。
「医院長、亡くなったんだって。待合室に張り紙が出てたの。大腸癌だって」
 それからしばらくの間、彼との最後のやりとりを何度も思い出しているうちに、ぼくの頭にひとつの架空のドラマがありありと浮かび上がってきたのだ。
 −あのとき彼は、自分は癌だとわかっていた。余命わずかなことも知っていたんだ。だから、あんなにしつこく悪いところをぜんぶ取ってしまえば、あとはもう大丈夫みたいな言い方をしたのだ。
 だったら、奥さんがきびしい顔をして、「治療ですから」と言い出したのも合点がいく。あの夫婦は手遅れになった癌と向き合って、奇跡を信じて最後まで戦っていたのだ。そうでなければ、人が変わったように「とってしまいましょう」とか、「治療です」なんて言い出すわけがない。

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