禺画像]
軽(けい)でも気に入っている車のハンドルを握りながら、「えーっ、知らんかった。ホントかよ」とおもわず声が出た。
過日たまたまつけたラジオから、こんな話が耳に飛び込んできたのだ。そのさわりをざっと再現すると−、
−「士農工商」って、あるでしょ。江戸時代の身分制度で、すべての人を職業で4つに分けた。武士がいちばん偉くて、次が農民、その次が職人たち、いちばん下が商人いうもの。あれは間違いです。以前は学校の授業で間違いを教えていたんですね。いまの教科書ではそういう説明はしていません。
ウソだろうとおもった。そしたら、次のパンチが飛んできた。
−「参勤交代」って、あるでしょ。みなさんは、徳川幕府が各地の大名に、1年おきに領地と江戸を往復することを命じて、重い財政負担をかけることで、大名たちが幕府に反逆できないようにした。歴史の授業でそんなふうに習ったでしょ。あれも間違いです。幕府はそんなことは狙っていなかったんですね。
ちょっと待て。いつからそうなったんだ。そんな話、聞いたことがないぞ。(インターネットで調べたら、そのとおりだった。信じられない人は、ご自分の目でご確認ください)
恥ずかしながら、間違った解釈のまま生きてきた。でも、同じように思い込んでいる人はそこらじゅうにいらっしゃるとおもう。
これまでも似たような話はちょくちょく耳にしてきたような気がする。
たとえば、高校時代のクラブ活動では、「運動中は水を飲むな」という言い伝えがあった。足腰を鍛えるために、うさぎ跳びもやらされた。あの不自然な格好で、校舎内の階段をピョン、ピョン飛び跳ねながら登っているやつもいた。
ずいぶん後になって、どちらも間違っていた、逆にからだにはよくなかったと知った。あんなにきつくて、苦しいことを、強くなるための練習だからと自分に言い聞かせてやって、バカみたいだった。
ひと昔前までの医者は、風邪でもなんでも、ためらいなく抗生物質を出していたが、後から風邪に抗生物質は効かないことがわかった。食べ物でもタコやイカのように評価が一変したものがある。
すぐには思いつかないけれど、そんな例はもっとあるだろう。
さて、ぼくのような他人に影響を与えない恥は別として、士農工商と参勤交代の「間違った常識」のあおりを食った人たちは、いまごろどんな心境だろうか。その人たちとは歴史小説家や脚本家、時代劇の映画監督といった職業の人たちである。
今さらあの小説や映画の時代設定は間違っていると贋作(がんさく)の烙印を押して、よくできた作品をお蔵入りさせるのは大きな損失だし、こちらとしても忍びない。
いっそのこと、ここはよくあるシーンのように大上段に構えて、「元はと言えば、国の教育が間違っていたからだ。満天下の前で、よくも赤っ恥をかかせおったな。おのれ、この恨み晴らずにおくものか」とタンカを切るしかないか。
そういえば歴史の教科書の内容も、ときの政権の意向で変わったことがあった。お隣の国では、あの天安門事件もなかったことにしてしまった。
戦争や選挙で飛び交うプロパガンダや人をあざむくフェイクニュース、詐欺メール、AIで人の顔や声までそっくりに作り上げて、本人になりすます事件など、いまの世のなかは、いったいなにが真実で、なにがウソなのか、いよいよわかりにくくなってきた。
そのうえ自分の正体はバレないようにして、人をだますことをおもしろがってやる者たちは世界中で跡を絶たないから、ますます始末が悪い。
学校で習った「士農工商」や「参勤交代」のことぐらいで驚いてはいけないのかもしれない。
■夕食の準備の買い物のために、まわり道をしながら歩いていたら、住宅やアパートが立ち並んでいる狭い隙間に、秋の実りの季節をみつけた。黄金色の稲穂が生きている。
持ち主の農家の人は、祖先代々から受け継いだ土地を、せめてここだけでも昔の形のままに残しておきたいのかな。そうか、この辺りはぜんぶたんぼだったんだ。
セコメントをする