言葉で切り抜けていく
2023-10-31


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誕生日はこの世に生まれたときから、生涯を伴走してくれる節目の日である。ぼくが生まれた10月は気候もよくて、一年中でも好きな月のひとつだ。
 実りの秋、味覚の秋、食欲の秋、芸術の秋、読書の秋、スポーツの秋など、いいとこ取りのオンパレードで、神無月は日本中の神様が出雲大社に勢ぞろいするというから、神様たちにとっては行楽の秋か。
 あれからもうすぐ1年になる。まさか10月の翌月の11月そうそうに、すい臓がんの宣告が待ち構えていようとは。いつか必ず訪れる死は不意を突いてすぐ目の前にひょっこり現れた。望んでいないことが起きるのはどうしようもないことだ。死期へと向かう足音もまたそうだった。
 今日は10月の終わり。明日から11月。昨年のいまごろ、「明」から「暗」に急変したときをおもいだす。ことしは「暗」を「明」に変える潮目になってほしい。
 井上ひさしはうまいことを言っている。
 −自分が悩みごとやさまざまなことで追いつめられたとき、言葉がいちばん、役に立つのです。
 言葉で切り抜けていくしかないのです。
 よく、あの人、頭がいいから文章を書く、という言い方を耳にしますが、そんなことは全然ありません。文章を書く、ということは、考えて書く、ということなんですね。−
 同じ意味のことを小林秀雄も、大江健三郎も書いている。彼らもよほどこのことを伝えておきたかったのだろう。こんな独り言みたいなブログしか書いていないが、その列の最後に並び続けようとおもう。
「ゆるしてください。もうしませんから」。そう手紙に書いて、親からの尋常ではない虐待で命を落とした女の子がいた。あの子もそうやって必死に戦っていたのだ。一生懸命に考えて書いた言葉が通じなかった無念さはいかばかりだったか。悔しいけれど、それもまた現実である。
 そんなことを思いめぐらせていた折りも折り、昨日の地元紙の朝刊になつかしい人をみつけた。
 宝塚歌劇団のトップスターだった安奈淳(76歳)。一世を風靡した、あの『ベルサイユのばら』の男役の主人公オスカルを演じた。
 どうしてなつかしいのかと言えば、週刊誌の記者時代、当時のエース・Tさんとコンビを組ませてもらって、安奈淳が出演していた『ベルばら東京公演』のルポをやったからだ。
 新聞の記事に戻る。彼女は53歳のとき体調が急激に悪化し、医者は周囲の人たちに「余命3日。お別れの会の準備を」と告げた。のちに珍しい難病だとわかった。薬の副作用に苦しんで、何度も死のうとしたという。そんな彼女を救ったのはふたりの友人だった。そして、たどり着いた彼女の心境を語る言葉が紙面に載っていた。
「死ななくてよかった。人は何かやるべきことがあるから生きている。元気なうちはだれかの役に立ち、自分も幸せになりたい」
 たびたび耳にする表現だが、彼女はこの言葉を胸に抱きしめて、これから先を切り抜けていくのだろう。
 同じく昨日は再発防止の化学療法の日だった。抗がん剤の点滴がはじまって半年が過ぎた。これまでに13回打たれた。幸いにして、がんが再発した兆候はないけれど、まだまだ先はみえない。
 こんな文章を書きつづるのも、この状況を自分の言葉で切り抜けていこうとしている、まっただなかにいるからだ。それもまた、たのしみだとおもって歩いて行こう。

■ベランダに吊り下げているトレニアの花に、かわいらしいトンボがやってきた。おや、いらっしゃいとうれしくなった。ちいさな幸せを運んでくれた。
 うん、きっといいことがある。

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